2006年 08月 16日
今日の日に思うこと~祖父に会いたくなった日 |
今日は朝から靖国一色でしたね。ワイドショーがたった一つの話題で2時間以上も特番を
組む。それぐらい「首相の終戦記念日への参拝」は大事だということ。
正確には「首相のA級戦犯の祀られたある宗教施設への参拝」が問題なんですけど。
私がいつも朝見ているワイドショーは、局はイマイチだけど、番組はアナウンサーの性格か、
筆頭コメンテーターの一人がジャーナリストの鳥越氏だからか、こういう話題については、
鋭く丁寧に作られています。
「合祀とは」「合祀がどのように行われ、A級戦犯がなぜ、どうやって合祀されたか」というのを
やっていました。今まで合祀問題は結構ありますけど、根本がどうだったか、何が政府や
省庁で行われて合祀に至ったのか、実はあまりよく知りませんでした。私はね。
簡単に言えば、東京裁判の後、時の厚生省の中にある特殊な機関局が作られた。
メンバーはほぼ旧軍人。その局の長が、旧日本軍の大佐で、相当権力があったそうです。
ここでは、戦没者の情報を和紙に書かれた名簿として、情報が入るたびに記載され、
まとめられて、靖国神社へ戦没者としてその情報である名簿を渡す。
それを靖国神社が精査して問題なければ春秋の霊大祭で合祀をする。=神となり祀られる。
仏がさらに神として祭られる。変な感じがしますけどね。
そしてある年にA級戦犯の名前を戦没者に紛れ込ませて靖国へ送ってしまった。
厚生省の上部は政治関係者。当然はじかれると予想されるので、当時の厚生省長官にも
内緒で独断で行った。
で、靖国側では調べたときにそれが分かったので、保留にしていた。
いずれ合祀されるということは決まったらしいですが、タイミング等は情勢を見つつ、
靖国側が決めることになっていたそうです。
当時の宮司は、宮内庁時代を経て、昭和天皇のそばにもいた方なのですが、いずれは合祀
されるだろう。でも自分の生きているうちには合祀はされないだろうと、側近にもらしていたそうです。
そして彼が現職にして亡くなったあとに宮司になった松平氏によって、就任後3,4ヶ月で
合祀に踏み切ったということでした。彼はA級戦犯には罪はなかったという思想の持ち主だったということでした。
この先のもっと具体的な裏事情等については、出勤時間になったので、DVDに録画して
出勤したため、まだ見ていません。また見た後で「事実」を書きたいと思います。
私はもともとA級戦犯問題で靖国神社参拝は反対派なので、今回のことは軽率だとは
思いますが、まぁ残り1ヶ月となればあまり国際的な批判もかわせると踏んだのだとは
思いますけどね。いろんな人たちのコメントは賛成も反対も薄っぺらいと思ってみていた中、
中曽根元総理の言葉は深くうなずきました。
「天皇陛下が(靖国に)参拝できるようにすることが首相の仕事だ。
それを自分(首相)が参拝するということだけで行ったり来たりしているのは思慮が足りない」
まことそうだと思いました。昭和天皇のメモの存在で、参拝しなくなった理由が明らかになったわけで、それを組んでいるからこそ現天皇陛下も参拝しないのでしょうから、
やはり、天皇陛下が行ける施設であってこそ、いや、天皇をはじめとする国民全ての人が
禍根なく参拝できることが、政治云々公約云々なんて小さな意地の張りあいを見せるより大事だと私も思います。本来政治とは切り離したところで、慰霊するべきだと思いますし。
中曽根さんは総理時代、一度参拝してからやめています。参拝をやめた年、昭和天皇から「よくやってくれた(参拝しないでくれた)」と電報が届いたそうです。
後に記者が対談でなぜ昭和天皇が彼の姿勢をほめたのか、中曽根さん自信はどう思うか
たずねたら、彼は「昭和天皇はどの政治家よりも他国に対する贖罪意識がお強い方だったからではないか」と言ったそうです。
口先だけで申し訳ないことをしたというのではなく、どの国も納得する見える形で、不戦の誓いをしてほしいものです。
もともと靖国神社は日本軍が管理していた神社ですから、当時から戦争の為に美化されて
きた宗教施設です。
心の問題と小泉さんがいうなら、戦没慰霊祭に出席する天皇陛下ご夫妻と同じあの場に立って不戦の誓いを公然と述べればそれでいいんじゃないだろうか。と個人的には思っています。
そうすればひめゆりの人達のように「靖国には祀られたくない」という人々も納得するでしょう。
合祀されたくなかった人がいること、遺族にも参拝したくない人達がいることを忘れては
いけないと思います。
ワイドショーには合祀に賛成で著書もある女性が出ていましたが、A級戦犯は刑に処して
罪を償っているじゃないですか。なんでその人たちに首相が参拝してはいけないのかと
言っていましたが、戦没者の中に、「戦死でなく処刑」された人がいるのはおかしいし、
こちらは戦争を起こした側ですから、被害にあった諸外国から見たらそりゃ納得いかない
でしょう。自分達の家族を殺した首謀者に一国の代表が頭を下げるんですから。
罪を償っても、被害者から見たら永遠に犯罪者は犯罪者です。
ほかの事では国益をうたうくせに、こういうところでは国益そっちのけなんですね。
政治家って。
先日TVで硫黄島の戦いの全貌をやっていました。
もう地獄とはあのことだと思いました。軍司令部の言葉は「全力を挙げて島を死守すること」
そして投降も自刃も許されない戒律。人としての尊厳すら許されない環境。
しかも補給はされないことが決まり、全滅は最初から時間の問題でした。
最初から時間稼ぎのために彼らを犠牲にしたといわれています。
米軍が投降をよびかけて、投降しようとした日本軍人は仲間から撃たれた人も少なくなかった
そうです。奇跡的に生き残った人たちは、投降したのではなく、奇跡的に瀕死の状態から
米軍に引きずり出されて助け出された人も多かったということでした。
捕虜になることは軍人の恥とされていたそうですが、米軍からしたら理解できない心理状態
だったそうです。死兵相手では難航したはずです。
軍国主義って大体そういうものなのかもしれませんが、普通は自国の被害を最小限にしつつ
戦果をあげるのが勝利だと思うんですけど、当時の日本軍の場合は、兵士は鉄砲の弾と
同じで、相手に打ち込んで被害を与え続ければいい。兵は駒でしかない。自国民への愛着が
感じられないことが多いです。この状態では疲弊し始めた軍隊は勝てるわけがなかったの
かもしれません。
昨年末に亡くなった祖父はどこかの海外(サイパンかインドネシア付近?)に行っていて、
前線に配属されていたものの、病気にかかってしまい、野戦病院に入院したそうですが、
その入院中に、自分のいた部隊が攻撃で全滅したんだそうです。運がよかったとしか
いいようがない状況だったそうです。あと1週間病気になったのが遅れていたら、
自分も死んでいたと父に話したことがあるそうです。
小学生の頃、父達が勉強した部屋があるのですが、子供の頃は何が出てくるわかわらない
レトロな部屋で、宝探し気分でいろいろ引き出しとかあさって遊んでいましたが、あるとき
缶の中だったかアルバムだったか忘れましたが、モノクロの写真がでてきました。
戦時中の写真で、祖父が撮ったものです。荒れた密林一歩手前のような土地の風景写真も
あれば、戦車や仲間の遺体が転がっている写真、無残な最期を遂げた人たちの写真も
ありました。そのときは見てはいけないものを見たのかなというある程度のショックはあったと
記憶していますが、それほど衝撃的ということはなかったんですね。幼かったからでしょうか。
でも今大人になっていろんな情報が入り、自分なりに戦争を知らない世代真っ只中で
私はこれからどう歴史と向き合っていくのか見えない状態。
今になって、祖父が生きている間に、祖父にとって戦争とはどういうものだったのか、
終戦のときの気持ち、実際仲間達はどう思って戦っていたのか、生き残ったものとして
靖国問題はどう思っているのか、今すごく聞いてみたい気持ちです。
もっと早く、そうせめて昨年の今頃にでも聞く機会はあったのですけど、聞きたいとは
思っていなくて。
いなくなって初めて、「あぁ戦争経験者が減っていくってこういうことなのか」とすごく
大事なことをし忘れてしまった気持ちでいっぱいです。
戦争を知らない私達は、「知っている人」から聞く必要があったなと。特に身内がいれば
その方がいい。多くを語らない生存者は結構いますが、祖父はおそらく聞けば答えただろうと
父は言っていました。教育者でしたしね。
そんな思いで、今日は祖父に会いたい気持ちになりました。
組む。それぐらい「首相の終戦記念日への参拝」は大事だということ。
正確には「首相のA級戦犯の祀られたある宗教施設への参拝」が問題なんですけど。
私がいつも朝見ているワイドショーは、局はイマイチだけど、番組はアナウンサーの性格か、
筆頭コメンテーターの一人がジャーナリストの鳥越氏だからか、こういう話題については、
鋭く丁寧に作られています。
「合祀とは」「合祀がどのように行われ、A級戦犯がなぜ、どうやって合祀されたか」というのを
やっていました。今まで合祀問題は結構ありますけど、根本がどうだったか、何が政府や
省庁で行われて合祀に至ったのか、実はあまりよく知りませんでした。私はね。
簡単に言えば、東京裁判の後、時の厚生省の中にある特殊な機関局が作られた。
メンバーはほぼ旧軍人。その局の長が、旧日本軍の大佐で、相当権力があったそうです。
ここでは、戦没者の情報を和紙に書かれた名簿として、情報が入るたびに記載され、
まとめられて、靖国神社へ戦没者としてその情報である名簿を渡す。
それを靖国神社が精査して問題なければ春秋の霊大祭で合祀をする。=神となり祀られる。
仏がさらに神として祭られる。変な感じがしますけどね。
そしてある年にA級戦犯の名前を戦没者に紛れ込ませて靖国へ送ってしまった。
厚生省の上部は政治関係者。当然はじかれると予想されるので、当時の厚生省長官にも
内緒で独断で行った。
で、靖国側では調べたときにそれが分かったので、保留にしていた。
いずれ合祀されるということは決まったらしいですが、タイミング等は情勢を見つつ、
靖国側が決めることになっていたそうです。
当時の宮司は、宮内庁時代を経て、昭和天皇のそばにもいた方なのですが、いずれは合祀
されるだろう。でも自分の生きているうちには合祀はされないだろうと、側近にもらしていたそうです。
そして彼が現職にして亡くなったあとに宮司になった松平氏によって、就任後3,4ヶ月で
合祀に踏み切ったということでした。彼はA級戦犯には罪はなかったという思想の持ち主だったということでした。
この先のもっと具体的な裏事情等については、出勤時間になったので、DVDに録画して
出勤したため、まだ見ていません。また見た後で「事実」を書きたいと思います。
私はもともとA級戦犯問題で靖国神社参拝は反対派なので、今回のことは軽率だとは
思いますが、まぁ残り1ヶ月となればあまり国際的な批判もかわせると踏んだのだとは
思いますけどね。いろんな人たちのコメントは賛成も反対も薄っぺらいと思ってみていた中、
中曽根元総理の言葉は深くうなずきました。
「天皇陛下が(靖国に)参拝できるようにすることが首相の仕事だ。
それを自分(首相)が参拝するということだけで行ったり来たりしているのは思慮が足りない」
まことそうだと思いました。昭和天皇のメモの存在で、参拝しなくなった理由が明らかになったわけで、それを組んでいるからこそ現天皇陛下も参拝しないのでしょうから、
やはり、天皇陛下が行ける施設であってこそ、いや、天皇をはじめとする国民全ての人が
禍根なく参拝できることが、政治云々公約云々なんて小さな意地の張りあいを見せるより大事だと私も思います。本来政治とは切り離したところで、慰霊するべきだと思いますし。
中曽根さんは総理時代、一度参拝してからやめています。参拝をやめた年、昭和天皇から「よくやってくれた(参拝しないでくれた)」と電報が届いたそうです。
後に記者が対談でなぜ昭和天皇が彼の姿勢をほめたのか、中曽根さん自信はどう思うか
たずねたら、彼は「昭和天皇はどの政治家よりも他国に対する贖罪意識がお強い方だったからではないか」と言ったそうです。
口先だけで申し訳ないことをしたというのではなく、どの国も納得する見える形で、不戦の誓いをしてほしいものです。
もともと靖国神社は日本軍が管理していた神社ですから、当時から戦争の為に美化されて
きた宗教施設です。
心の問題と小泉さんがいうなら、戦没慰霊祭に出席する天皇陛下ご夫妻と同じあの場に立って不戦の誓いを公然と述べればそれでいいんじゃないだろうか。と個人的には思っています。
そうすればひめゆりの人達のように「靖国には祀られたくない」という人々も納得するでしょう。
合祀されたくなかった人がいること、遺族にも参拝したくない人達がいることを忘れては
いけないと思います。
ワイドショーには合祀に賛成で著書もある女性が出ていましたが、A級戦犯は刑に処して
罪を償っているじゃないですか。なんでその人たちに首相が参拝してはいけないのかと
言っていましたが、戦没者の中に、「戦死でなく処刑」された人がいるのはおかしいし、
こちらは戦争を起こした側ですから、被害にあった諸外国から見たらそりゃ納得いかない
でしょう。自分達の家族を殺した首謀者に一国の代表が頭を下げるんですから。
罪を償っても、被害者から見たら永遠に犯罪者は犯罪者です。
ほかの事では国益をうたうくせに、こういうところでは国益そっちのけなんですね。
政治家って。
先日TVで硫黄島の戦いの全貌をやっていました。
もう地獄とはあのことだと思いました。軍司令部の言葉は「全力を挙げて島を死守すること」
そして投降も自刃も許されない戒律。人としての尊厳すら許されない環境。
しかも補給はされないことが決まり、全滅は最初から時間の問題でした。
最初から時間稼ぎのために彼らを犠牲にしたといわれています。
米軍が投降をよびかけて、投降しようとした日本軍人は仲間から撃たれた人も少なくなかった
そうです。奇跡的に生き残った人たちは、投降したのではなく、奇跡的に瀕死の状態から
米軍に引きずり出されて助け出された人も多かったということでした。
捕虜になることは軍人の恥とされていたそうですが、米軍からしたら理解できない心理状態
だったそうです。死兵相手では難航したはずです。
軍国主義って大体そういうものなのかもしれませんが、普通は自国の被害を最小限にしつつ
戦果をあげるのが勝利だと思うんですけど、当時の日本軍の場合は、兵士は鉄砲の弾と
同じで、相手に打ち込んで被害を与え続ければいい。兵は駒でしかない。自国民への愛着が
感じられないことが多いです。この状態では疲弊し始めた軍隊は勝てるわけがなかったの
かもしれません。
昨年末に亡くなった祖父はどこかの海外(サイパンかインドネシア付近?)に行っていて、
前線に配属されていたものの、病気にかかってしまい、野戦病院に入院したそうですが、
その入院中に、自分のいた部隊が攻撃で全滅したんだそうです。運がよかったとしか
いいようがない状況だったそうです。あと1週間病気になったのが遅れていたら、
自分も死んでいたと父に話したことがあるそうです。
小学生の頃、父達が勉強した部屋があるのですが、子供の頃は何が出てくるわかわらない
レトロな部屋で、宝探し気分でいろいろ引き出しとかあさって遊んでいましたが、あるとき
缶の中だったかアルバムだったか忘れましたが、モノクロの写真がでてきました。
戦時中の写真で、祖父が撮ったものです。荒れた密林一歩手前のような土地の風景写真も
あれば、戦車や仲間の遺体が転がっている写真、無残な最期を遂げた人たちの写真も
ありました。そのときは見てはいけないものを見たのかなというある程度のショックはあったと
記憶していますが、それほど衝撃的ということはなかったんですね。幼かったからでしょうか。
でも今大人になっていろんな情報が入り、自分なりに戦争を知らない世代真っ只中で
私はこれからどう歴史と向き合っていくのか見えない状態。
今になって、祖父が生きている間に、祖父にとって戦争とはどういうものだったのか、
終戦のときの気持ち、実際仲間達はどう思って戦っていたのか、生き残ったものとして
靖国問題はどう思っているのか、今すごく聞いてみたい気持ちです。
もっと早く、そうせめて昨年の今頃にでも聞く機会はあったのですけど、聞きたいとは
思っていなくて。
いなくなって初めて、「あぁ戦争経験者が減っていくってこういうことなのか」とすごく
大事なことをし忘れてしまった気持ちでいっぱいです。
戦争を知らない私達は、「知っている人」から聞く必要があったなと。特に身内がいれば
その方がいい。多くを語らない生存者は結構いますが、祖父はおそらく聞けば答えただろうと
父は言っていました。教育者でしたしね。
そんな思いで、今日は祖父に会いたい気持ちになりました。
by mueri
| 2006-08-16 00:25