2007年 01月 21日
「生かされて」 |
昨日コンタクトを買いに行って、久しぶりに本屋に行った。
近所の本屋ではラジオイタリア語講座のテキストが手に入らないので、大きな書店に
いける機会に買おうと思っていた。(最近ネットで買ってたんです;)
で、ついでにふらふらしていたら、売れ筋の本が積んである所で足が止まった。
気になる本は2,3あったのだけど、大きすぎる(広辞苑みたいな厚さのもあった)し
なんかピンと来ない。
でもこう本屋にいると、活字に飢えている自分に気づいて、どうしても一冊は連れ帰りたい。
で、ふと目に留まったのが「生かされて」という本。
作者はイマキュレー・イリバギザ。まだ20代の黒人の綺麗なその人の小さな写真が
表紙になっている。
なんだか妙に惹かれ、帯を見たら「ルワンダの大虐殺」の生き残りらしい。
100日間で25万人とも100万人とも言われる大虐殺の生き残りだ。
この内戦が一応完全終結したのが2005年。ほんのちょっと前の話。
言葉には聞いていたけれど、この惨状の事実を私はほとんど知らなかった。
でもこれは虐殺の歴史書ではない。
この狂気の中で生き残るまでの、彼女の身に怒ったことと、つい昨日まで友人や隣人達が
殺人者と化して自分の愛する人を八つ裂きにされた事実を理解し、怒り、悲しみ、許すまでの
心の葛藤を記した手記に近い。
生きることをあきらめかけ、愛した家族を皆殺しにされ、何ヶ月も教会のクローゼットサイズの
トイレに6人の女性と重なり合って息を殺して生き残った彼女。
敬虔なローマンカトリックの家庭に育った彼女は、神に祈ることで精神的な恐怖から逃げる
ことができたのだけど、ただツチ族というだけで、多数派のフツ族に殺された多くの人々を
思い、悲しみ、プロパガンダに踊らされたフツ族がツチ族の皆殺しを合言葉に、
マインドコントロールがかかったような状態で、酒麻薬、略奪強姦を繰り返し、
人間としての尊厳など忘れ去られた中で、それでも彼らを苦しみながら憎しむことから、
許すことへの心境の変化を克明につづった実話です。
自分の心の中で、人を憎む悪魔の声と必死に戦い、神の声を聞こうとした彼女。
今そこで自分を殺しに来た殺戮者のことを、彼らもまた神の子であるということに気づいた時
彼らの行ったことに許しをこい、殺された人々が神のもとにいけるように祈り・・・。
死の恐怖と隣り合わせの壮絶な日々。
彼女が救われたのは神に必死に祈ったからではない。
沢山の人がそうして、裏切られ、赤ん坊まで殺されたわけで、彼女は当然それを
「生かされた」と思っている。だから世界中で講演しているそうだ。
世界各国が結果的に救済を放棄していたあの時何が起きていたのか、
何が平和にとって大事なことなのか。
生き残ったことですべきことがある。そのために今自分は生きていると。
そのために最愛の家族を一人の兄を残してすべて失った。
生前も今も彼女の家族達の、互いを思う家族愛のなんと深いことか。
両親への尊敬と感謝と愛情。兄弟同士のあふれんばかりの愛情。
人を愛し、自己を犠牲にしても人のために尽くす家族。
私はこんなにも自分の両親を愛していただろうか・・・。
尊敬しているだろうかと反省してしまう。
すくなくともそれをちゃんと表現したことはない。
できるときにしておかないと意味が無いのに。
母はもういないけど、それでも身の危険もなく、食べるものにも寝るところにも困らず、
家族は父一人しかいなくても、家族と語り合える境遇に、もっと感謝しなければ
いけないと思いました。
彼女の家族のお互いを思う心になんども涙をこぼしながら、でも必死で活字を追っている
自分がいます。
私は無宗教なので特定の神の教えという信仰心は薄いと思う。
でも彼女の神への祈りは痛いくらい理解できる。心が救われるという心境が読んでとれる。
半日かからず200ページ読んでしまった。あと半分もない。
偶然先ほどテレビで「ルワンダの涙」の映画のCMを観た。そう、まさに同じ題材だったのだ。
この題材で映画が上映されることを私は知らなかった。
この映画はルワンダに派遣されたイギリス人の青年海外協力隊と、牧師の視点から
描かれているけれど、時期は同じものだ。何か縁を感じてしまう。
これは・・・観に行かなければいけないのかもしれない。そう思った。
イマキュレーの心のあり方、人を許す心。
これは今の世界情勢の中で起きている負の連鎖を断ち切るのに、とても重要な
ノウハウであり、心のあり方なのではないかと思う。
まずは知ることからはじめなければ・・・そんな思いでこの本を読んでいる。
読み終わったとき・・・私は何を感じ、何かをつかめるだろうか・・・。
近所の本屋ではラジオイタリア語講座のテキストが手に入らないので、大きな書店に
いける機会に買おうと思っていた。(最近ネットで買ってたんです;)
で、ついでにふらふらしていたら、売れ筋の本が積んである所で足が止まった。
気になる本は2,3あったのだけど、大きすぎる(広辞苑みたいな厚さのもあった)し
なんかピンと来ない。
でもこう本屋にいると、活字に飢えている自分に気づいて、どうしても一冊は連れ帰りたい。
で、ふと目に留まったのが「生かされて」という本。
作者はイマキュレー・イリバギザ。まだ20代の黒人の綺麗なその人の小さな写真が
表紙になっている。
なんだか妙に惹かれ、帯を見たら「ルワンダの大虐殺」の生き残りらしい。
100日間で25万人とも100万人とも言われる大虐殺の生き残りだ。
この内戦が一応完全終結したのが2005年。ほんのちょっと前の話。
言葉には聞いていたけれど、この惨状の事実を私はほとんど知らなかった。
でもこれは虐殺の歴史書ではない。
この狂気の中で生き残るまでの、彼女の身に怒ったことと、つい昨日まで友人や隣人達が
殺人者と化して自分の愛する人を八つ裂きにされた事実を理解し、怒り、悲しみ、許すまでの
心の葛藤を記した手記に近い。
生きることをあきらめかけ、愛した家族を皆殺しにされ、何ヶ月も教会のクローゼットサイズの
トイレに6人の女性と重なり合って息を殺して生き残った彼女。
敬虔なローマンカトリックの家庭に育った彼女は、神に祈ることで精神的な恐怖から逃げる
ことができたのだけど、ただツチ族というだけで、多数派のフツ族に殺された多くの人々を
思い、悲しみ、プロパガンダに踊らされたフツ族がツチ族の皆殺しを合言葉に、
マインドコントロールがかかったような状態で、酒麻薬、略奪強姦を繰り返し、
人間としての尊厳など忘れ去られた中で、それでも彼らを苦しみながら憎しむことから、
許すことへの心境の変化を克明につづった実話です。
自分の心の中で、人を憎む悪魔の声と必死に戦い、神の声を聞こうとした彼女。
今そこで自分を殺しに来た殺戮者のことを、彼らもまた神の子であるということに気づいた時
彼らの行ったことに許しをこい、殺された人々が神のもとにいけるように祈り・・・。
死の恐怖と隣り合わせの壮絶な日々。
彼女が救われたのは神に必死に祈ったからではない。
沢山の人がそうして、裏切られ、赤ん坊まで殺されたわけで、彼女は当然それを
「生かされた」と思っている。だから世界中で講演しているそうだ。
世界各国が結果的に救済を放棄していたあの時何が起きていたのか、
何が平和にとって大事なことなのか。
生き残ったことですべきことがある。そのために今自分は生きていると。
そのために最愛の家族を一人の兄を残してすべて失った。
生前も今も彼女の家族達の、互いを思う家族愛のなんと深いことか。
両親への尊敬と感謝と愛情。兄弟同士のあふれんばかりの愛情。
人を愛し、自己を犠牲にしても人のために尽くす家族。
私はこんなにも自分の両親を愛していただろうか・・・。
尊敬しているだろうかと反省してしまう。
すくなくともそれをちゃんと表現したことはない。
できるときにしておかないと意味が無いのに。
母はもういないけど、それでも身の危険もなく、食べるものにも寝るところにも困らず、
家族は父一人しかいなくても、家族と語り合える境遇に、もっと感謝しなければ
いけないと思いました。
彼女の家族のお互いを思う心になんども涙をこぼしながら、でも必死で活字を追っている
自分がいます。
私は無宗教なので特定の神の教えという信仰心は薄いと思う。
でも彼女の神への祈りは痛いくらい理解できる。心が救われるという心境が読んでとれる。
半日かからず200ページ読んでしまった。あと半分もない。
偶然先ほどテレビで「ルワンダの涙」の映画のCMを観た。そう、まさに同じ題材だったのだ。
この題材で映画が上映されることを私は知らなかった。
この映画はルワンダに派遣されたイギリス人の青年海外協力隊と、牧師の視点から
描かれているけれど、時期は同じものだ。何か縁を感じてしまう。
これは・・・観に行かなければいけないのかもしれない。そう思った。
イマキュレーの心のあり方、人を許す心。
これは今の世界情勢の中で起きている負の連鎖を断ち切るのに、とても重要な
ノウハウであり、心のあり方なのではないかと思う。
まずは知ることからはじめなければ・・・そんな思いでこの本を読んでいる。
読み終わったとき・・・私は何を感じ、何かをつかめるだろうか・・・。
by mueri
| 2007-01-21 21:48